不便こそが健康の近道かも

世の中どんどん便利になってる
動かなくても生活が可能な現代

効率化やタイパが叫ばれ
無駄がどんどんと排除されている

果たしてそれでいいんだろうか?
仕事を考える上では有効だろう。

ただ、効率化を求めるあまり
心に余裕がなくなってないかな?

タイパを求めるあまり
大事なものを見落としたり、チャンスを逃してないかな?

そして、動物として動くことの大切さを失っていないかな?

照明・テレビはリモコン
電話は携帯
食材を入れるだけで料理が作れる電気調理器

ほとんどが座ったままで完結できる

買い物はネット通販
デリバリーも充実している
銀行もネット
振り込みや集金もない

一歩も外出しなくても生活できる
なんと便利な社会だろう

私が少年時代を過ごした昭和40年代~50年代は

テレビの操作はテレビ本体にあるボタンとチャンネルだった
照明の点灯・消灯は立ち上がり紐を引っ張った
電話はベルが鳴りやまぬ前にとダッシュした
おまけにトイレは和式だった

ずっと座って過ごすことなんてなかった
そして
ゴロゴロしてたら叱られた

生活の中で
常に頭を使い、体を動かしていたはずだ
それが当たり前だった

しかし、人類は便利な生活をもとめ
いろんな発明やアイデアで快適な生活に変わっていった
我々も楽を求めて工夫したきた

なんと素晴らしいことではないか

だけど最近思うことがある
便利になりすぎたおかげで
人間が機械に操られているんじゃないか?
行動の自由や考える機会を奪われてないか?

この状況を抜け出すには
生活に不便を取り入れることが必要だと思う

全部が不便に戻ることはないが
体を動かし、五感を鍛え、想像力を育む
健康でおもしろい人生になるように

そしてAIに支配されないためにも

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